山本さとしオフィシャルHP  フォーク・ソングの風に吹かれて
in fukushima  20231001
 福島にて

このたびの東日本大震災で亡くなられた多くの皆さま方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
また被災され、今なお大切な方の消息がつかず、大変な生活を余儀なくされている皆さまにおかれましては
心からお見舞い申し上げます。・・・本当に言葉もありません。

 ふる里福島は、あれからずっと放射能の恐怖にさらされています。
今なお放射能を漏らし続ける福島原発があり、その高濃度の汚染ダメージは海外にも及びます。

 帰りたくても帰れない皆さまの心をお察しし、東北、福島へいつも思いをはせています。 
私たちの心は、皆さまと共にあります。今なお続くこの悲しみと苦しみの中で、少しづつ、少しづつでも
新しい地域社会をつくっていけますように。
 ・・・うまく言い表すことはできませんが、微力ながらもそのための活動を続けてまいります。
 心はあなたとともに。 2011年3月より  山本さとし

No more Hiroshima , no more Nagasaki , no more Three Mile Island, Chernobyl, Fukushima and no more Hibakusya.  
I'll always be with you,always.  Satoshi Yamamoto

  

 

フクシマの海岸にて 
聴こえるものを歌に紡ぎ、海風に吹かれてうたってきました。
これからも定期的に通い、フクシマをテーマに歌を毎年一曲書き、それを一生続けたいと思います。


3.11~ソングス
2011 「この道の向こうには」
2012 「浜通りの風」
2013 「雪・雪」
2014 「なかなか」
2015 「やよい雪」 「百年の希望」 「神さまとんぼ」 「風をよみ声をあげ」
2016 「地球のための鎮魂歌」
2017 「今も夢のつづきを」 「真っ白な未来」
2018 「あわ雪」 「きみを待ちながら」 「彷徨いても」 「漂流暮らし」「コスモスのうた」 「ゴーイング・ホーム」
2019 「つながり合うために~コスモス村のうた」 「緑の風につつまれて」「笑顔は咲けない」 「祈ります」 「泣けばいいさ 笑えばいいさ」
2020 「水平線のしたで」「いわないよ」「よみがえる」「笑顔」「新しい街」
2022 「サヨナラのない別れ」
2023 「微笑みの詩に」
「潮騒のアリア」


 
20180311 相馬港(福島県相馬市)にて





♩202003フクシマにて
浜通りの風に吹かれてきました。
海岸で「笑顔は咲けない」(詩:石原いっき、作曲山本さとし)をうたってきました。
20200315

 

 



♩2019年11月3日(日)13:30~
院内ライブ~藤島昌治さんを囲んで
南相馬市立総合病院1階ロビーにて

♪「泣けばいいさ 笑えばいいさ」
今日は詩人で南相馬市の仮設住宅元自治会長の藤島昌治さんのお見舞いにあがりました。

ボランティアで伺う時の相棒ギターに、今日は一筆お願いして座右の銘『愚公山を移す』を書いていただきました。

思えば3.11後の南相馬市の仮設住宅を訪問する度に当時自治会長の藤島さんは気安く受けとめてくださり、
そればかりかかえってお世話になり、むしろ救われた者…の一人となりました。そんな思い出の数々があるのです。

今年9月末にお見舞いにあがった際、ベッドに伏せながら書かれたという一編の詩を見せてくださいました。
そして「メロディがつくかなぁ…」と託されのでした。

今日の面会に間に合うよう一週間前から集中してメロディをくっつけて、やっとこご本人に聴いていただくことができました。
車椅子に乗り背中を丸めたこのほうが楽と言いながら、隣で静かに聴いてくださいました。終わって一言、「さすかだなぁ…」と呟やかれました。

訪問当時から、藤島さんは歌を心根で聴いてくださり、仮設住宅に住む方々に声をかけては
皆さんに聴いていただく機会をつくってくださいました。
ぼくの中にあった何かしら支援をさせていただきたい気持ちを大きく受けとめ、汲んで、
むしろ歌い手としての度胸をつける土俵をつくってくださったのではないかと思っています。

藤島さん、なんと今月には新作の詩集が出版される予定とのこと!校正も最終段階に入り、
もうすぐ手に取れるそうです。楽しみです!



南相馬市を後にしながら、浜の風に吹かれて、一度はあんなに恨みで見つめた海が、
ざわつきを鎮めよと凪ぎで諭してくれてるようでした。
















「清川しっぽ村」
被災ペット保護続け5年
7月21日(土)読売新聞 相模版
2018/7/23







【東京新聞】より

福島からの風
原発のない国へ20180723


◆再生エネルギーで地域復興を 会津電力・佐藤弥右衛門社長

大規模太陽光発電「雄国発電所」の前で話す佐藤社長=福島県喜多方市で
http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/list/201807/CK2018072102000208.html



◆太陽+風→安定供給
政府は送電線解放渋る

http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/list/201806/CK2018062602000154.html





◇母校日本社会事業大学の古屋教授が中心となって継続されてきた
福島訪問ツァーに今年は入れて頂くことになりました。
ぼく個人はこの前後で、いわき市と福島市の音楽仲間との交流も
合わせてしてくる予定でいます。7/20











Grain開店4周年記念企画です。







友人動物看護師Kさんから届いたメール

◇10月11日 6年7カ月 飯舘村(福島県)から合掌

解体中の家は 沢山の猫たちの餌場でした...
これから迎える冬を どこで越すの…?
あの日とおなじ太陽が登り 駆け足で沈んでいきます
これ以上 一人で寂しく 消えていく命がないように…10/11


   


    





・・・蟻塚亮二先生のパワポ・シェア! 10/10





「福島の心のストレス」講演会


2016/06/15 に公開

3.11の大震災とその後の原発事故から5年が過ぎ、被災した人たちの環境にも変化が出てきました。
特に、心への影響は見えにくいだけに深刻であると言われています。
講師の蟻塚亮二さんは、沖縄で戦争時に受けた高齢者のトラウマの治療にあたってこられ、
震災後は福島県相馬市で被災者に寄り添う治療をしています。

今、福島の人たちには何が起こっているのか、現場に関わる蟻塚さんからお話を伺いました
◎講師:蟻塚亮二さん(精神科医/ 相馬市・メンタルクリニックなごみ所長)
◎主催:NPO「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」

【イントロ】3.11と「心の災害」——震災と原発事故、そして避難が福島県民にもたらしたストレス症候群
〜岩上安身による精神科医・蟻塚亮二氏インタビュー2日目(福島編) 2017.3.1





たった今、飯舘村で
給餌と散歩と人の匂いと温もり待つ繋がれたままのしっぽ達の息遣いと、長泥地区のゲート前の線量計が無言で何かを言う。
まるでうたう前のフォークシンガーのように。9/23



   

   

 
「一緒に村を歩き笑顔を向けてくれた子の寝床は、哀しいほどにぬけがらでした。
せめて 最期は待ち続けた家のヒトに傍にいてほしかった。」


・山本さん。ありがとうございます。飯舘村には約250万個のフレコンバックが点在。
戻るに戻れない!真実を語ることが出来ない風潮。
悲しい現実です。ふる里を奪われた悲しみは言葉に表すことができません。
(S.T.)



喜多方市熊倉町のお祭りにて
 「太鼓台のある風景」1・2(8/26、8/27)


 





「最大のプレゼントは人の行き来なんです」 糸井重里さんと、いまだから福島の話


坂本龍一、ベネチアで福島原発問題を懸念【第74回ベネチア国際映画祭】

9/5



これまで友人動物看護師Kさんの、福島県の飯舘村でのしっぽ村活動を紹介して来ました。
皆さんには、沢山のいいね!をいただき有難うございました。
それに励まされ、K さん本人よりブログを始めましたとのこと、連絡ありました。
今後はこちらの方もどうぞ宜しくお願い致します。8/22

kanaenohinataのブログ






動物看護師Kからのたより
~飯舘村(福島県)しっぽ村給餌活動より~

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
壊されていくもの

月のしずくを吸って咲く月見草
霧雨の中で
待っているたのは
甘えたい わんこたち
おうちの人 いるのにね…
さぁ 散歩に行こう
走ろう
笑おう
何をしてほしい?

変わっていく景色を
すぐそばで見ている

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

情けない

雨の続く村に
若い夫婦が
仔犬を見にやって来た

楽しげに遊ぶその横で
老いた犬が
ぐるぐると歩きまわる

老犬の名はチョビ
抱き上げて お風呂に入れた
あばら骨がゴツゴツと
手にあたる
大きな腫瘍が首筋にある
肛門からは 血がしたたる
ぬるま湯の中で
手足を伸ばして
ウトウトと眠り始める

熊本の被災地で捨てられた仔犬
福島の被災地で
置き去りにされた老犬

これからを生きていく命と
今までを生き抜いた命

幸せを見つけてほしい命と
穏やかな最期を迎えてほしい命

見つめていける強さがほしい
手を添える力が
この子に寄り添える力が
今の私には ない…

情けない
悔しい

 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・







主の安否を思い出す
なんだこらようと7/24

三橋美智也 新相馬節






動物看護師からの手紙

~しっぽたちの給餌活動より~

ねむのきに 薄桃色の花
村のあちこちに咲いています。
...

照りつける太陽は
容赦なく
肉球熱いよね
アスファルトを避け
できるだけ土の上を
できる限り草の上を

上手に木陰で涼んでいても
飲み水はお湯のように熱く
虫が飛び込み
ゲンゴロウが泳いでいる

あなたは 
家族にそんな水を飲ませるのですか

ケガをしたら
病院に行きませんか?
大丈夫!と言いきるあなたには
この子の痛みが
この子の泣き声が
聴こえないのですか?

歳をとるのは
人だけではないのに
散歩の後で
腰砕け
動かなくなってしまうこの子

人は
介護を受け
施設に入り
ケアしてもらっているのにね

夕方のひぐらしが
哀しく聴こえました 7/19


 

  

 


動物看護師からの手紙
~しっぽたちの給餌活動より~
「飯舘の今日 (7/18) ここは 比曽地区 」7/18

 

 




沖縄、福島から遠くても近い島

「平和の詩」に上原愛音さん(宮古高校3年) 
全戦没者追悼式で朗読【詩の全文掲載】
6/23

誓い~私達のおばあに寄せて

 宮古高校3年 上原愛音

今日も朝が来た。

母の呼び声と、目玉焼きのいい香り。

いつも通りの

平和な朝が来た。

七十二年前

恐ろしいあの影が忍びよるその瞬間まで

おばあもこうして

朝を迎えたのだろうか。

おじいもこうして

食卓についたのだろうか。

爆音とともに

この大空が淀んだあの日。

おばあは

昨日まで隠れんぼをしていたウージの中を

友と歩いた砂利道を

裸足のまま走った。

三線の音色を乗せていた島風に

鉄の臭いが混じったあの日。

おじいはその風に

仲間の叫びを聞いた。

昨日まで温かかったはずの冷たい手を握り

生きたいと泣く

赤子の声を抑えつけたあの日。

そんなあの日の記憶が

熱い血潮の中に今も確かにある。

決して薄れさせてはいけない記憶が

私の中に

私達の中に

確かに刻まれている。

少女だったおばあの

瞳いっぱいにたまった涙を

まだ幼かったおじいの

両手いっぱいに握りしめたあの悔しさを

私達は確かに知っている。

広がりゆく豊穣の土に芽吹きが戻り

母なる海がまた

エメラルドグリーンに輝いて

古くから愛された

唄や踊りが息を吹き返した今日。

でも

勇ましいパーランク―と

心臓の拍動の中に

脈々と流れ続ける

確かな事実。

今日も一日が過ぎゆく。

あの日と同じ刻ときが過ぎゆく

フェンスを飛びこえて

締め殺されゆく大海を泳いで

癒えることのない

この島の痛み

忘れてはならない

民の祈り

今日響きわたる

神聖なサイレンの音に

「どうか穏やかな日々を」

先人達の願いが重なって聞こえる。

おばあ、大丈夫だよ。

今日、私達も祈っている。

尊い命のバトンを受けて

祈っている。

おじい、大丈夫だよ。

この島にはまた

笑顔が咲き誇っている。

私達は

貴方達の想いを

指先にまで流れるあの日の記憶を

いつまでも

紡ぎ続けることができる。

誓おう。

私達はこの澄んだ空を

二度と黒く染めたりしない。

誓おう。

私達はこの美しい大地を

二度と切り裂きはしない。

ここに誓おう。

私は、私達は、

この国は

この世界は

きっと愛しい人を守り抜くことができる。

この地から私達は

平和の使者になることができる。

六月二十三日。

銀の甘蔗(かんしょ)が清らかに揺れる今日。

おばあ達が見守る空の下

私達は誓う。

私達は今日を生かされている。





11の日に(友人の動物看護師より)

海に眠る友に
空にのぼった小さな命たちに
忘れてないよ...
今でも
探しているよ

そこから
何が見えますか

ここから見える景色は
悔しい黒
鮮やかな碧


6年3ヵ月 合掌








THE HOPPOH
詩集 北方 2017 NO.2 通算167号
北方詩の会 より







届いた たより
(動物看護師の飯舘村給餌活動から)

  


家のあった場所に
何もなくなって随分とたった

迎えにくると言ったのに…

一昨日も
昨日も
今日も
待っている

明日も
明後日も
ずっと
ずっと
待っている

お手 をしたら
誉めてくれたんだ

ほら!
ねぇ~!
上手に出きるでしょ?
だから
迎えに来てください

6/6





届いた たより
(動物看護師の飯舘村給餌活動から)

何処へ行ったのか
探す術がないまま

...

おじいさんが亡くなって
一人残された君は
甘える事が下手だった

時間に終わりがあることを知っているから
もう 行ってしまうんだね・・・・と
見送る君をみたのは
この日が最後だった 5/21


 








動物看護師からの便り

また 土を削って
また 黒い袋が増えていく

「帰れない」から
「帰らない」
に言葉が変わった村の方々

毎月 消えていく小さな命たち

長すぎる年月に
悔しさを通り越して
誰かのせいにしなければ
やりきれなくなる。

ぷーすけは
7度目の菜の花を見ています。

桜を観ることなく
ポールは先月亡くなりました。

そして移動日だった30日に
子供を遺して
お母さんわんこが逝ってしまいました。

今ごろ 鎖から解き放たれ
自由に走り回り
綺麗な水を飲み
美味しいものを食べていると
信じたい
5/6

   



◇5/4 福島現地ルポ ~大鹿仮設住宅集会所にて~
/ 相馬勉さん(臨床心理士、南相馬市仮設住宅内心の相談室室長、喜多方復興支援隊)より
 5月4日は広島の高校生が仮設住宅でのボランティアで大鹿仮設住宅にこられましたので、そのサポートをさせていただいてます。
齋藤さん(映画監督)も来福され、藤島さんは高校生ヘお話を。手塚さん(訪問看護師)も実情を伝えおくださいました。 
 写真は、大鹿仮設住宅集会所にて。
齋藤勝監督、藤島昌治さん、広島から高校生災害復興支援ボランティア派遣隊のみなさん、手塚さん、日上雅義先生。
5/4


 

 

 




福島県の花
子供たちが笑顔で
この花を愛でる日がきますように...4/25






友人(動物看護師・動物訓練士)からのメール(給餌活動中)
今日の飯舘村 泣きつかれました...3/20

   




2017/3/20 今朝の東京新聞一面
心にふれる話 ☘ 笑顔の奥






3/15被害者が語る_原発差別
20170314NEWS23




◆2017/3/2(木)東京新聞朝刊、写真家菊池和子さんの写真展「フクシマ漂流はつづく」が首都圏各地で開催






震災で涙流すうさこ 2/19



 ブルーナさんはいつも、子どもたちの笑顔を心の中に思い浮かべていた。1955年に出版された絵本「ちいさなうさこちゃん」(第1版)は、
幼かった長男に聞かせてあげた話がもとになって生まれた。69年の絵本「こいぬのくんくん」は、長女から「犬のお話もかいて」とせがまれてかいている。

 わが子だけでなく世界中の子どもたちを包み込むような、あたたかで優しい絵本やイラストを描き続けた。その原点には、平和への強い願いがあった。

 10代半ばで第2次大戦を体験し、祖国オランダはナチス・ドイツに侵攻された。戦時下の冬のある日、ユダヤ人が冷たい湖を泳いで逃げるのを見て、
憤りと悲しみを覚えたという。この体験が「ぼくの人生を決定づけたのかもしれません」と振り返っていた。

 戦争が終わると、ピカソやマティスらの自由な作風にあこがれ、出版社の後継ぎでありながら画家を志した。
猛反対した父と妥協するかたちで、1951年に父の出版社に商業デザイナーとして就職した。

 本の装丁やポスターを手がけ、絵本もかいた。絵本「ちいさなうさこちゃん」が日本で翻訳され、国外でも知られ始めた。
そのころ赤、青などわずかな色の色づかいと簡略な輪郭で描く手法を確立し、国内外のデザイン賞を相次ぎ受賞した。

 出版社を辞めて独立してからは、仕事場でたった一人で描く仕事のスタイルを守り通した。
世界的な名声を得ても、アシスタントを雇うことなく、構想から仕上げまで、かたくななまでに自分ひとりの手でやり遂げるその姿は、日本の職人技を思わせた。

 飢餓、貧困、病気から子どもたちを守ろうと訴えるポスターも描き、東日本大震災では涙を流すうさこちゃんのイラストで日本の子どもたちを励ました。

 生涯にかいた絵本の、どの主人公もまっすぐに読み手である子どもたちを見つめている。子どもたちを怖がらせるストーリーは一作もない。(森本俊司)





自分に、福島の友に、同輩に。2/12






◆2017/1/30(月)東京新聞朝刊、写真家菊池和子さんの3回連載の記事(上)です




◆2017/2/1(水)東京新聞朝刊、写真家菊池和子さんの3回連載の記事(中)




◆2017/2/2(木)東京新聞朝刊、写真家菊池和子さんの3回連載の記事(下)






アレクシェビッチ「学生との対話」のノーカット版(28分)

ノーベル文学賞作家でジャーナリストのスベトラーナ・アレクシェビッチさんが11月28日、東京外国語大学で名誉博士号を授与された。
学生と対話の中で、直前に訪問した福島の被災地の印象について、「私が「チャルノブイリの祈り」で描いたことと全く同じものを目にした」と述べた。12/10





友人の動物看護師より


心のケアを

人間がケアしてもらえるように
私はこの子たちの心のケアをしてあげたい
一時帰宅をしているなら
せめて 傍にいてあげてほしい
帰村できないのなら
里親さんを探す事を考えてほしい
家の番をするという役目も
知らない人が来たら
吠えて家人に知らせるという
役目も
誰もいない場所では
必要ないはず
ならば、この子は
何故ここにいるのでしょうか...
フレコンバックの保管場所は
大きな白いテント
この蕨平地区では
帰村希望はほとんどないと
長泥地区は今だに
入って行くことができません。
そして 新しい命が生まれていました...10/10



   


Kさん、有難う。獣医のいない村での看護活動を依頼されたのですね。
この子たちのまなざしがいたいです。せめてあなたの好きなこの曲を。
身体に気をつけてください。

風にのせて-IRUKA-
https://www.youtube.com/watch?v=pUOng4iOm2c





【保存版】徳島新聞 2016年7月6日~12日
「震災5年の歩み~仮設を出たら~1・2・3・4・5」他
 (共同通信:三浦ともみ記者)8/15

相馬さんから発信を託されました。三浦記者のねばりの密着取材は、
相馬さんの毎週の南相馬市での訪問活動に寄るところもあったようです。
シェアハウスに結びつく経過が良くまとめられてありがたいです。


















東京新聞:日本国憲法の実質的起草者である憲法学者、鈴木安蔵(やすぞう)氏は福島県南相馬市小高区(旧小高町)出身。 

荒廃する鈴木安蔵の生家 9条ルーツ、規制区域に



東京新聞:護憲のルーツは福島に 良心的兵役拒否者・矢部喜好牧師の系譜:ふくしま便り:東日本大震災(TOKYO Web)

護憲のルーツは福島に 良心的兵役拒否者・矢部喜好牧師の系譜




郷里の土の話
さすがに170年の汚染土管理は見届けられず
次の世代にほんとうに申し訳立たない
せめて、セシウム半減期の30年は
生きて見届けたいと思う 6/27





20160625
トーク&朗読の会の後は参加者で交流をはかりました。
Grainでのライブをされている山本さとしさんも会にかけつけてくださり、ギター、歌にも耳を傾けました。」
6/25






相馬勉さんからのたより(シェア・フリー!)
(臨床心理士、喜多方復興支援隊。3.11以後、毎週末南相馬市の仮設住宅に通い「心の相談室」をひらき、
個々の訪問活動~24時間無料相談を続けている。これまで自殺を止めた方は4人になる。)

「本日6/21、昨日のシェアハウス候補地(小高駅近く)の
具体的な写真をご送付しました。...
藤島さんが6/25グレインで話をする時に参考になれば、と
藤島さんからの依頼でもあります。宜しくお願い致します・・・。

この7月12日の避難解除に伴い、今まで被災された方々は医療費が無料でしたが、7月31日で打ち切られるとの情報。
格差が広がり復興どころではない!次はいつ10万の補償金が
打ち切られるか!行き場のない仮設住宅の方々の不安は増しています。

未だ行き場を探している方々が大勢おられます。
来年の3月までは現在の仮設住宅は存在し、その後縮小、統廃合されていきます。
最後に残るのは牛越仮設住宅だと思われます。

今現在の避難解除後、小高に戻る予定の方々は約1割、13000人の人口があった中、約1000人。
スーパー、買い物、治安、その他考えるとかなり難しい課題が山積しています。

この頃、よく聴くことが(助けてクナンショ)行き場がなく漂流など絶対にいけません。
行政の動きはかなり遅いし鈍いです。さらに住民の方々の混乱が
予想されます。
日曜日、山本さんもご存知の大鹿仮設自治会長さんが大泣きでした。
皆様方疲れてもうピークだとつくづく感じました・・・。

藤島さんがシェアハウス創立を急いでいるのが分かります。
昨日も南相馬で藤島さんと合ってシェアハウスの実現のため
話し合いをしました。共同通信の後任記者も同席しました。
避難解除に伴い藤島さんから、約100人は行き場がない!
それ以上の現実。シェアハウス創立は急務です。

場所は小高駅近くもとの東邦銀行裏です。駅から徒歩5分です。
このシェアハウス創立のため多くの方々にその必要性をシェアして欲しい!藤島さんの強い願いでもあります。」

 


追伸
「7/12の避難解除に向け、仮設に住む特に高齢者の方々、第2、2回目の避難、行き場が定まらない方々の悩み、不安感、
これからも見通しが見えない中での心的ストレスはかなり深刻です。
シェアハウスの必要性、藤島さんも昨年から動かられていますが、本当に重要な課題です。
行政の動きは鈍く、もう待ってはいられません。

そのような中、この6月25日のグレインでの藤島さんの話の中でも今後の具体的な方向性が出ると思います。
送付したのはシェアハウスの候補地の写真です。
藤島さんから25日の話の時に、シェアハウスの候補地の写真もつかいたいとの要請を受けました。

・・・写真の通り、家の中の清掃、リフォーム、家まわりの草刈りとかなり大変です。家電はエアコンだけ。
5年もたっているので、すべて使えなく処分したとのこと。藤島さんも至急を要すること、とnpoなどと手間のかかることではなく、
「シェアハウスをつくる会」等の任意団体をつくり、そこに相馬が関与して行き場のない方々のために、
どうにかならないものかと考えられております。

昨日堀先生(精神科医、ほりメンタルクリニック)とも話し合いをもち、今の現状ではご高齢の方々は小高にもどるのは無理、
任意団体を立ち上げることに賛同をいただきました。
このような状況ですので、相馬は25日は現地、南相馬で活動させていただきます。
今後ともどうか、ご支援のほど宜しくお願いいたします。」

6/24相馬勉



 

 




「仮設住宅、お年寄り行先なく シェアハウスで孤立防げ」
 避難解除迫る福島・南相馬 住民、現実へ奔走
              (京都新聞 2016年5月3日)

毎週南相馬市に通う相馬先生(臨床心理士)より届きました。...
共同通信記者のこの記事は、5/3京都新聞、ニューヨークタイムス、
5/28毎日新聞にも出ています。

「毎週南相馬に行っていますが、住民の方々の心理は複雑です。
フレコンバックはまだまだ増え続け、新しく6号線の方までいっぱいです。
この9日には、藤島さん、地元議員、その他の方々と小高でのシェアハウスの視察に行き、
今後の具体的な行き場のない方々へのケアを話し合ってきます。
また、6/20には市長とも面会、心のケアの重要性を話をします。(相馬)」





「避難解除は7月12日に決定しました。
フレコンバックが溢れるほどある中、帰還を希望する方は一割です。
住民説明会では決定したことを伝えるだけ?海岸沿いの塚原地区は昨年と全く変わらずです。
精神的に追い詰められている方々が多いのも現状です。塚原地区の先週の様子です。(相馬)」





〔心の相談〕内容も大きく変化しています。
シェアハウス実現が早急!な課題です。
避難解除??
まだまだ原町区に建設中の復興住宅は完成していません。
広い敷地の自宅を追われ、生活再建のメドが立たない方々が多くおられます。(相馬)


昨日南相馬市に行ってきました。牛越仮設住宅にお住まいで
緑内障で全く視力を失った82歳のおばあちゃん、行き場がありません。
藤島さん、東京から渡辺一枝さんが同席され今後について話し合いを持ちました。
その後小高駅前の双葉旅館の小林さんと3人で面会。
今子どもたちに突然死が多発していることお伺いしました。
甲状腺癌検査のデータだって曖昧!
どんな、屁理屈!理屈を言っても放射能は有害!
行政の小高への立ち遅れ強く感じました。
(相馬)




昨日、原町駅から小高駅まで初めて電車が試運転。
7月12日の避難解除の日に合わせ開通させるそうです。(相馬)





昨日合った全盲の小山田トヨさん83歳の方、藤島さんの詩を聞きだい、音楽も聞きだい、寂しいのですね。
もし機会がありましたら少しの時間山本さんの歌声を宜しくお願いします。
無理なお願いで申し訳ありません。

牛越仮設住宅・全盲の小山田トヨさん83歳。
この避難解除に伴い一人で小高に帰還するとのこと。
ヘルパーは週に3回、1時間だけ?福祉って何??と!
(相馬)






東日本大震災、福島第一原発事故から5年以上たった福島、人々の現実を写す写真家・菊池和子さんの写真展+スライドトークと、
南相馬市で避難解除後、行き場を失う人々のシェアハウス建設に奔走される藤島昌治さんの詩朗読を聴く会です。

Grain開店2周年の記念イベント。昨年の1周年にひきつづき、
東日本大震災、福島第一原発事故から5年以上たった福島、人々の現実を写す写真家・菊池和子さんの写真展+スライドトークと、
南相馬市で避難解除後、行き場を失う人々のシェアハウス建設に奔走される藤島昌治さんの詩朗読を聴く会です。

<日時>2016年6月25日(土曜)15:00スタート(14:30開店)
<場所>高円寺Grain (杉並区高円寺北3-22-4 U.Kビル2階、高円寺駅北口、中通り商店街、中華料理「成都」2階)
<参加費>1000円
<お問い合わせ> Grain グレイン
電話:03-6383-0440
E-mail: kouenjigrain@gmail.com





相馬勉さん(臨床心理士)は毎週末、福島県南相馬市の仮設住宅に自費で通い、心の相談室を開いています。(無料、電話相談は24時間)
その報告会(高円寺グレイン)に来ています。写真は相馬さんがサンタクロースになって、仮設に住む女の子にプレゼントした時のものです。




傾聴活動の必要を話される相馬さん。真実をシェアしてください、と。



福島県・被災地の現状(2016年4月22日グレインにて)に参加して、貴重な体験に基づく、仮設に住む方々の声なき声を聴いてきました。
またニュースにならない現地の課題問題の指摘もありました。住民同士の被災者であるかないかでのデマや分断・いじめ、崩壊家屋の金品植木などの強奪や
コンビニ店員への嫌がらせ等治安の悪化、・・・核災害は先が見えない現在進行形のものであること。皆さん疲弊し疲れきっていますと。

避難解除と同時に入居を勧められている災害公営住宅は不人気で、住民は「鉄の扉に入るには」とためらいキャンセルが出ているとも。自殺者も福島県は多く70名ほどと。
合わせて避難者へ言葉の暴力で責めるなど「社会や行政のいじめ」に他ならないことなども。
最後まで逃げ遅れた人というのは、知的・精神・身体の障がい者、うつや引きこもり、車いすや自閉症・・・の方々であることなど。赤裸々なエピソードも紹介されました。

20名ほどの参加者からも現地に足を運んでのお話や質問も飛び交いました。
最後に相馬先生は、「何が正しくて本当で、何が間違いなんだということをシェアしてください。真実をシェアしてほしい。福島の苦しみを忘れないようにずっと。」
と締めくくられていました。
会場のグレインには、南相馬市の仮設住宅での写真が沢山貼られていました。
また新聞記事(共同通信記者の密着取材は先生も同行されていました)もありコピーされていました。

写真にはぼくも事見知ったお顔が沢山あり、そのひとりひとりのお話を傾聴されてきた相馬先生の、心の声が胸に残りました。



この5月の連休には広島から高校生が来福され、喜多方復興支援隊の皆さんが受け皿となられています。
南相馬市の仮設住宅は相馬先生が案内されるそうです。
若い、関心の高い、選挙権も持てる彼らの出会いと感性に希望も持っています・・・とのことでした。


 相馬勉さん(臨床心理士)とグレインにて

 ♣相馬さんは震災直後から毎週私費で仮設住宅へ通われ、心理相談を継続されています。
 電話相談は24時間365日受けているそうです。これまで数人の命を助けられました。
 実は喜多方高校の先輩で、ぼくの南相馬市とのつながりを作ってくださった方でもあります。




動物看護師からの便り15

しっぽ村の事  いつもありがとうございます。
先日 飯舘村から しっぽ村の住民になったばかりの 美人ワンコに里親さんの申し出があったのです。
早い!! さとしさんのHPを 見てくださっている方かもしれない有難い事です。
嬉しいです。
横浜であった Jazzのチャリティーでは 沢山の援助をいただきました。
音楽の力 やはり 凄いです!!
ありがとうございます。

今日のしっぽ村から
くりんちゃんのお花見です。
福島の桜を想い出しているかも
しれないですね。

山のあちこちが 桜色です。
新緑に変わるまでのこの時期
季節の変わり目
お身体を大切になさってください。
HPを見てくださっている方々に 御礼を申し上げたく
メール送らせていただきました。4/1


 





動物看護師からの便り14

帰れない故郷

今日の飯舘村...
故郷に帰れない
この辛さが わかって頂けますでしょうか…
帰りたい
帰りたい

故国の土を踏む事も
家族と暮らす事も
許されない 原発が
何故に 今も 動く…

 

今日の飯舘村 2

村の給餌ポイントは...
150箇所以上
飼い主さんと暮らせなくなった
ニャンコ
餌を求めて
居着いたニャンコ
その数は400匹以上と思われます。
正確な数の把握はできませんが、一時帰宅されている被災者の方、
現地のボランティアの方々と協力していきます。
どうか ご支援 よろしくお願いします。

詳細は 清川しっぽ村のブログ
3月28日 給餌活動 をご覧頂きたく
どうか どうか よろしくお願い致します。
3/28


 




友人(動物看護師)からの便り13

「新しいしっぽ村の住民です。
とても美人な女の子
ここは みんなが傍にいるから...
安心して おやすみなさい。

もう 一人じゃないんだよ。」

 





今日、銀座で。南相馬市の訪問でお世話になった藤島昌治さん(詩人、南相馬市鹿島区仮設住宅自治会長)と。
藤島さんは昨夜書き上げたばかりという新作も朗読されました。
この3/11に発行した新詩集「長き不在 フクシマを生きる」(写真/菊池和子/遊行社)にサインもいただいてきました。
・・・またきっと伺います。3/21


 

♣会場には、昨年11月の南相馬ツァーを企画された矢島医師ご夫妻、高円寺グレインの加藤さん(6月には写真展をグレインでもされる予定とのこと)、
沢山の方で満員でした。
岩手からの方や加藤さんからも質問が出て、仮設を出るに出られない高齢者の方々の住まいとしてのシェアハウスのことが話題に上りました。


♣藤島会長(ついそうお呼びしてしまいます)のネクタイピンは、仮設の方が作られたトンボのピンです。これって「神さまとんぼ」ですよね♪




動物看護師からの便り12

新しい生命の誕生あり
その一方で ニャンコが
減っているようです。
青空の下 放浪するワンコは
全身脱毛状態
保護しようと近づくと
逃げてしまいます…

しっぽ村へ1人搬送予定
幸せ探し 手伝わせてね 3/21


  





友人(動物看護師)からの便り11

「悲しい現実

ここで生きるということ...
過酷
言葉になりません。

散歩道 フレコンバックが
まるで 当たり前のように
置いてあるのです…

山から 狸がおりてきて
一緒にごはんを食べているようです

雨から 雪に変わる
まだまだ寒い村で
餌の準備中
待ちきれないニャンコが
見つめているのは
‟人からもらえる食べもの” 」3/15


  

♣口のきけない生き物たちの慟哭!!口を利かなくなる人間だけにはならない、都合のよい事だけで生きていけるはずもない現実、、
心眼を失わないように、、そして負けないように念ずるのみ!!!!
(洪栄龍さんよりコメント)
♣洪さん、返信有難うございます。直接行って関わっている彼女にも伝えます。




FBしてない友人(動物看護師)からの便り10

「間もなく5年
ここで暮らす ワンコ達の
実に半生...

これから 家屋や納屋の撤去が始まり
解体前は餌場ポイントだった所が 更地になっていきます。
その前に どうしても保護を急がなければ!!
焦る気持ちを 察するのか
ワンコの瞳が いつもより
悲しくうつります
心臓を握り潰されそうな…
雪のない村の中でも
心が凍えていきます

助けてください!
叫んでいるのは
山の樹木たち
泣いているのは
空を舞う鳥たち

どうしたらいい?
何ができる?

泣くことしかできない
謝ることしかできない」3/9


  

 




相馬勉さん(臨床心理士)より3/7
「先月28日に南相馬市に行ってきました。
シェアハウスについても行政がなかなか動かない中、古民家を改装しての構想を伺いました。
市長は避難解除をしょうとしていますが、とても無理! 添付した写真の線量計は避難解除のところです。
(小高駅前のモニタリングポストはまだ測定停止中。もう1年です!)
記者と今月仮設を集中取材し連載の予定です。
行き場がない!取り残された方々が多くいる中、更に心理援助をしてまいります。
帰りたいけれど帰れない辛さが取り残された方々はますばかりです。
線量計の数値は、川房地区です。少し離れた民家では除染作業をしています。昨年より高い数値です。」
3/7






FBしてない友人(動物看護師)からの便り9 3/6           
「あの日から五年の歳月の中で 亡くなった全ての方々へ。
今年は 暖かくて、もう 沈丁花や柊南天が咲いているのですよ。
木蓮も咲き始めました。香り 届きますように…合掌 」
3/7







「フクシマ無念~ふる里追われて5年 2016.4.1避難解除の南相馬市小高区を行く」
写真家菊池和子さんの新しい写真集を取り寄せました。詩人藤島昌治さん(自治会長)の詩が合わせて載っています
ぼくがうたわせていたたいた集会室や熱心に聴いてくださった皆さんのことも紹介されています。
開いていくと、おひとりおひとりの3.11以降のお話をお側で伺っているような、そんな気持ちになります。
窓を開けると小高区に吹く風か入って来るような・・・です。遊行社 3/6






FBしてない友人(動物看護師)からの便り8

「しっぽ村から
里親さんに正式譲渡されたワンコ、
幸せ見つけたよ。...
表情が 変わったような気がします。
もう 寂しくないよね。
幸せを祈ります。」
3/6

 




早速昨夜のライブの模様がYou-Tubeにアップされました。「弥生雪降る」です。
3.11に思いを寄せて、・・・せめてもの等身大です。心おさえて、その日を、迎えます。


弥生雪降る / 山本さとし

2016/03/05 に公開
2016年3月4日(金)
高円寺Grain http://grain-kouenji.jp/






FBしてない友人(動物看護師)からの便り7

「一日で景色が変わる弥生のはじまり。

マイナス4℃の雪の村です。...
給餌班の車に 飛び乗ってくる
ニャンコ
相変わらず 歓迎ポーズのわんこ

この環境を
少しでも何とかしてあげるのが
これから 私達に出来ること
傍にいてあげられなくて
あたためてあげられなくて
ごめんなさい。
ごめんなさい。」3/1



   

  





FBしてない友人(動物看護師)からの便り6

「環境に身体をあわせて生きているのですね。

環境は人がつくったもの...
人をつくるのも環境

給餌ポイントにしていた廃虚も取り壊しが始まり、
住み着いていた ニャンコ3匹しっぽ村の住民になりました。
ほっぷちゃん、 すてっぷちゃん、じゃんぷちゃん と名付けられました。
今は 警戒心が強く、それぞれのゲージで隅っこに身体を丸め、
保護されています。
いつか きっと、良い 御縁に恵まれて幸せを掴めますように…
怯える瞳をみながら、こちらも ゆっくりまばたきをします。
ニャンコは そうすると落ち着くんですよ。

飯舘村に給餌に行くと、こんなに 喜んでくれるワンコ。
人恋しいんだよね。
何も してあげられなくて、本当にごめんなさい。」
2/28

 




南相馬の仮設の自治会長さんが言っておられた。
アパートマンションの三階四階暮らしもしてみたくて仮設から移ってはみたものの、
特に高齢者はこれまで土と一緒の暮らしをしてきたのでやはり馴染めず身体壊して、
また戻ってきた方がいると。加えて地の人のつながりが大切なんだと。2/26

蟻塚亮二さん(精神科医)FBより
神戸地震では満5年以内に仮設住宅に住む人はゼロになった。
東北3県ではまだ59000人の方たちが仮設暮らし。仮設は寒くて狭くて苦しいが、障害を持つ人、高齢者、
シングルマザーたちにとって災害復興住宅の家賃は安くない。
まして、新たに土地を買って家を建てて仮設を出るのは、彼らには困難だ。被災者の殆どは震災前より収入が減っている。
収入が震災前と変わらないか増えたというのは年金生活者か東電の補償金を貰えた人。








FBしてない友人(動物看護師)からの便り5

「また あの日がやってきます。

飯舘村へ向かう途中...
雪の重みで倒れた木が
行く道を塞ぎ
この先で あの子達は
どうしているのだろう…

生き抜いていました。
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも
夏の暑さにも負けず…

前回保護した マロ君の身体は
鞭虫症に蝕まれていました。
現在 必死の治療中です。

亡くなったコロ君は
内臓の全てが肥大していました。

それでも ここには
まだ 生き抜いている 生命があります。」2/24

 




FBしてない友人(動物看護師)からの便り4

「人間が
いつかきっと 帰れる と思うように
残された この子達も...
いつかきっと 飼い主さんに
逢えると信じて 待っているのです
住み着いた 廃虚も 取り壊しが始まり
行く場所さえ取り上げられる この子達
毎日 同じ方角を
ずっと ずっと見ているこの子
飼い主さんの匂いがするのかな

つながれたままの 老犬に
ぴったり寄り添う 年老いた猫
人間と 何処が違うの?」2/20


 





蟻塚亮二さん(メンタルクリニックなごみ)2/15FBより

3.11が近づくと猛烈な「復興」キャンペーンが起きるんだろうな。
「がんばろう日本」が。しかし原発事故で故郷を失い他の土地で暮らす人に「復興」はない。
そもそも2011年12月の野田内閣による原発事故収束宣言が嘘だった。
原発事故も収束しないし、仮に事故が収拾されたとしても原発避難者は故郷に帰れない。


3.11から5年を迎えて福島の人々の心をなんと表現しよう。私の心は波だっている。
再建に向かうどころか、福島はまだ震災と原発事故直後の衝撃と混乱とが続いている。
岩手や宮城だって高台移転や高齢化など大変だが、それでも福島から見れば「復興期」にあると見える。
福島は震災と原発事故直後の「混乱と衝撃期」の渦中にあるようだ。
キュー...ブラー・ロスの例えでいうと苦難や喪失からの立ち直りには「衝撃、悲しみ、否認、怒り、そして受容して再起」というプロセスが必要だ。
しかし福島は初期の「衝撃と悲しみと否認と怒り」が複雑に渦巻いているように見える。
なかんずく大きいのは、「原発は安全だから、アンダーコントロールだからオリンピックをやり原発再稼働をすすめる」という
国による「ダブルトラウマ」とでもいうべき「二重の痛手」を受け心に大きなダメージを受けたことだ。
そして原発事故箝口令によって「人の心を閉じ込めた」ことだ。
震災に加えて国と社会によるダブルトラウマ!!こんな中で人の心が修復されるわけがない。
失ったことの悲しみを見つめようとしないで「がんばろう日本」でごまかすな。
涙を流すことさえ後ろ指指される5年後の福島。





喜多方市(福島県)にある〝そうそう絆サロン”の遠藤祝穂さん(喜多方復興支援隊)のことが、
福島民報新聞に載
っておりました!(※喜多方復興支援隊 花見さんより。)

遠藤さん、省帰したらまたお邪魔します。
2/13






FBしてない友人(動物看護師)からの便り3

「Facebookに ワンコの事 載せてくれてありがとう。
悲しい事もあるけど嬉しい知らせも あったの
飯舘村で保護した ニャンコがしっぽ村で出産したの。...
その子猫達が里親さんの所で幸せみつけたんだよ!

引き取られたばかりの頃の姉弟と
里親さんに幸せ頂いて のんびりくつろぐ姿

あなたの 「地球よ」を口ずさみながら
この世の不条理を作っているのは 人間だって思ってしまう。
でも それを 変えていけるのも 良くしていけるのも 人間なんだよね。

縦の糸だけではなく横の糸も必要で
人種とか 宗教とかだけではなくて
障害を抱える子どももそれを支える親や学校や地域が
横の糸となって織りなす事ができる
一つの世界 それが 「普通」であってほしいと思います。
そこに 動物も植物も生命あるもの全てが 生きていけますように…」2/9

 




FBしてない友人(動物看護師)からの便り2
飯舘村(福島県)から

「推定10歳 生涯の半分を飯舘村で過ごしたワンコ が
ドクターの懸命な治療の甲斐なく 亡くなりました。...
お庭に埋めて 花を手向け
今頃 天国で飼い主さんと再会を果たしていると信じて…
雪の中 寒さに震え
ただ じっと 飼い主さんの帰りを待って 5年です。
生命はみんな 同じ
一人に一つずつ」2/7







FBしてない友人(動物看護師)からの便り
「しっぽ村に飯舘村(福島県)から 新しくわんこが来ました。」
※一般社団法人『清川しっぽ村』紹介:清川村犬猫避難所 。
東日本大震災で被災したワンちゃんネコちゃんを助ける為、活動しています。
神奈川の清川村に犬猫避難所を設置し保護・里親さん探しをしています。
定期的に被災地(主に福島県飯館村)に給餌活動に行っています。」2/5






福島県・被災地ツァー
 「心の相談室南相馬市の被災地と仮設住宅を訪ねるツァー」(なが)

朝7時集合 無事新宿出発
総勢20人で 南相馬市へ...
皆早起き 言葉少な
でも フレンドリー
11/7~8

飯舘村は鳴りっぱなしです2015/11/7

 

牛越仮設住宅にお邪魔して
お話を伺いました
92歳だそうです


  

 


ミニコンサート
手作りの歌集をひらいて
皆さんともご一緒に
その後はカレーライス交流



  

 

 

 



仮設住宅の朝
丸くなってラジオ体操~朝の散歩
われらは清掃活動を…
各仮設住宅での清掃ボランティア。エアコンフィルター、換気扇の清掃を中心に!

おわってしばし茶話会~歓談 11/8

 

小高区片草にて
日曜は作業休み

 

小高駅前にて
自転車は当事駐輪したまま
線量計も3月から測定停止中

でも帰る人訪ねる人たちのために...
手入れされた花壇があります
軒先にはつるし柿が

アンテナショップ希来が開いていて
若夫婦と赤ちゃんが店をきりもり
南相馬の皆さんの作品も沢山

展示販売されています


 

  

  


ツァーラストは希望の牧場ふくしまに
牛たち370頭に会いにいきました
食肉でない殺生は違うということ
殺処分ではなく 証拠データに生かすと
飼っても良いが繁殖させない...
斑点牛ここから出さないということで
生かされていく  
ボランティアで成り立っています


 

 

集会室出る際に も一度
リクエストもらって
風をよみ 声をあげ と
故郷 をうたいました
お疲れさまでした
ありがとうございました♪

 

 

ことの橋「おだがいさまだべした」「ほどほどにしらんしょよ」「せづねなぁ」・・・
いろいろな場面で聴かせていただきました。

宮沢賢治の「新たな詩人よ 嵐から雲から光から 新たな透明なエネルギーを得て 人と地球にとるべき形を暗示せよ」が
うちに響く二日間でした。





被災地・福島の遅発性PTSD 蟻塚亮二医師



「原発事故から2年半が過ぎた福島で、いま、 これまでみられなかった新たな"こころの病" に苦しむ人が次々と現れています。
原発被災地で起きている"異変"と、 その治療に取り組む精神科医たちの取り組みがあります。


 沖縄で沖縄戦後60年以上立って現れた晩発性PTSDに取り組んできた精神科医、蟻塚亮二さん。
今年2013年、福島県相馬市のなごみクリニックの院長になり、震災と原発事故で心の傷を抱えた被災者のケアに携わっています。


 福島県相馬市にある「こころのケアセンターなごみ」。 原発事故後に崩壊した相双地域の精神医療体制を再構築しようと、
新たな拠点として開設されました。今年4月、 院長として赴任した蟻塚亮二医師は、ある事実に気づきました。
震災直後は何ともなかったのに、 いまになって震災体験のフラッシュバックなどに襲われる、「 遅発性PTSD」が、週に3~4ケースも見つかっているのです。
さらに"うつ"とは診断されないものの「 慢性的な気分の落ち込み」が続き、 生活が崩壊したり自殺が危惧されるケースも相次いでいるといいま す。
精神科医たちが直面する深刻な実情、そして、 新たに始まった手探りのケア。


 「トラウマというのは記憶の時系列の混乱」「強い実生活体験がトラウマにフタをする」「頑張っている間はトラウマ記憶は死んだふりをする。
だけど、それが家族の死や自分の病気などをきっかけにトラウマが出てくることがある」「3年後5年後。
10年後トラウマがでてくる可能性がある」「過去の記憶を、過去のものにして治めるのがトラウマ治療なんです」
「今まで生きてきて、こんなに良く生きてる。今の時間が肯定できたっていうことで、ようやくトラウマは治めることができる」

公開日: 2013年11月09日期間: 16:13
カテゴリー: ライフスタイル&DIY
心的外傷後ストレス障害」





今も続く沖縄戦の傷「晩発性PTSD」そして福島


<沖縄戦の心の傷-今も抱える高齢者-精神科医蟻塚亮二さん> 沖縄県に住む、平安山ヒロ子さんは
晩発性PTSDで10年ほど前から時に起き上がれないほどの症状になった。
伊江島ではアメリカ軍の空襲や地上戦が行なわれた。集団自決や住民の虐殺で住民の半数近くが命を奪われた。
当時10歳だった平安山ヒロ子さんはその戦闘の記憶に苦しんでいる。おぶった妹と自分も撃たれたが弾は貫通した。自責の念が高齢化してから襲ってきた。

精神科医蟻塚亮二さんは平安山ヒロ子さんの症状を晩発性PTSDと診断した。生活が縮小し、眠った記憶
が爆発すると説明した。
沖縄戦経験者の老人4割がこの症状を持つとした。この症状に沖縄の米軍基地やオスプレイなどのの問題が関係しているとした。
八重瀬町の大橋文之さんは福島原発で働いていた。震災のの影響などで会社は流され、親族4人が亡くなった。
福島県南相馬市の自宅は現在でも避難指示解除準備区域となっている。大橋文之さんは普天間基地を見て、オスプレイの危険性を指摘した。

精神科医蟻塚亮二さんは福島県南相馬市で住民の心のケアを行なっている。早く対処しないと晩発性PTSDで苦しむ人が増えるとした。
沖縄県糸満市の平和記念公園では仲井真弘多知事が普天間基地県外移設などをあらためて訴えた。
安倍首相は負担を少しでも軽くするよう全力で取り組むと述べた。平安山ヒロ子さんは晩発性PTSDの影響で家族の墓参りに行けなくなった。
大橋文之さんは基地問題の抗議行動にも参加し始めた。沖縄も福島も同じだとした。

2013年6月





沖縄戦の心の傷 PTSD / 蟻塚亮二医師


「2011年秋、沖繩で開かれた病院・地域精神医学会はとても良い学会でした。 とりわけ、沖縄戦と精神保健の企画がすごかった。
沖縄戦の重さと心の傷が66年の年月を越えて、今もあたらな精神症状で高齢者を苦しめ­ていることに驚きました。
精神保健従事者は戦争に反対していくことが大切だと、あらためて実感しました。

■琉球朝日放送のQリポート 「沖縄戦のこころの傷を追って」
http://bit.ly/tZObTA

戦後、置き去りにされた心のケアの問題を社会全体で考えようと、医師やジャーナリスト­の呼びかけで市民講座が開かれました。
1960年代の県の調査では、沖縄の精神障害者の有病率は本土の2倍。しかし医者の数­が戦前の1/3の60人になってしまった沖縄で、
精神医学は後回しにされてきた経緯が­報告されました。

蟻塚医師「お母さんが機関銃で射殺されて、一晩、お母さんの背中にくくられたまま泥水­の中で泣いていた。
5歳の時のこの記憶が70歳になっても切り取ったように覚えている­」

蟻塚医師は、心療内科を訪れる高齢者の「不眠症」や「うつ」などの裏に、沖縄戦が潜ん­でいるケースが多いことを報告。

蟻塚医師「80代の女性で、足の裏に灼熱感があってつらい。この方は14歳の時にお母­さんと一緒に死体の上を走って逃げた。
その死体を踏んだときの感覚というのが甦ってき­て、足が痛いのは死体の上を歩いたからだと自分を責めた」

その女性は、戦後は教育者として生きた内原さん。生き延びたことに罪悪感を感じ、平和­運動にも力を入れますが、
足の痛みで10年あまり寝たきりになりました。

内原さん「足が痛くて痛くてたまらない。それでも我慢してると涙が出てくるんですよ。­私は戦争の時に、
人間としてやってはいけないことをやったという思いがあります。母親­にしがみついて泣いている赤ちゃんがいるのに、この赤ちゃんを救わなかった」


蟻塚医師は、患者同士で戦争体験を共有するセッションを開いています。不眠症を抱える­この日の患者さんたちは、
みな10歳前後で戦争を体験。断片的な記憶だからと、あまり­戦争について語らないできた世代です。

大城さん「大体あれじゃないですか。もう、戦争のこと思い出すという場合は年取ってか­ら。ひどくなりますよね」
蟻塚医師「年取ってから思い出すようになった?寝れなくなってから?」
前川さん「ちょっとゆとり出てから、そうなっている気がしますね」

蟻塚医師は、幼児期の戦争体験が晩年に発症するメカニズムをこう説明します。つまり、­仕事や家庭を支え、
必死に生活する時期には片隅に追いやられていたものが、老後ゆとり­のできた心の中で暴れ出す。
その不安の正体が戦争体験とは、本人も気づかない例が多い­のです。

また、大人はつらい経験を言語化することで徐々に記憶のファイルに移していきますが、­言語化できない子ども達は
正体不明のストレスとして抱えこんでいくため、断片的でも言­葉にする試みは大事だといいます。

蟻塚医師「記憶しすぎて眠れないってことなんだけど、その記憶が収まるべきところに収­まっていくとすーっと消えていく。
嘘みたいに。もう、病院に来なくなりますよ」

・・・・
ようやくゆっくりできるはずの晩年期に現れる戦争PTSD。
「不眠症」や「うつ」の治­療だけではなく、この世代が抱える戦争トラウマを社会全体で理解する事が解決の早道と­蟻塚医師は指摘します。

蟻塚医師「あ、そういえばうちのおばあちゃんもとか、向いのおじいちゃんもとかね、同­じ症状を持ってる人は沖縄中にいっぱいいると思う。
戦争犠牲者でしょうが。個人の原因­ではなく、戦争によるものだっていうことがわかると救われる人がもっと増えると思う」」




黄金で心を捨てないで 古謝美佐子



語るあなたと聴く私、そして語れるようになる・・・


OKINAWA 2015 - EPISODE 6 戦場から遠い場所

「黄金の花」
あなたの生まれたその国に
どんな花が咲きますか
神が与えた宝物
それはお金じゃないはずよ
素朴で純情な人たちよ
本当の花を咲かせてね
黄金で心を捨てないで





2015/10/05 に公開

沖縄戦では3カ月あまりの戦闘で住民の4分の1が命を落とし、生き残った者も大きな苦難を背負わされた。
家族を亡くし、住むところを奪われ、戦災孤児となった者は本島だけで3000人を超えるという。
そして、沖縄戦終結前後に学齢期を迎え、混乱と貧困のため学校に通うことができなかった義務教育未修了者の数は、正確に摑めていない。

2015年7月、VICE取材班は那覇市樋川にある珊瑚舎スコーレにカメラを向けた。
10代の中高生と80代の夜間中学生たちの学びの場。そこで出会い、認め合い、成長していく生徒たち──。
彼ら、彼女らの姿は学ぶことの喜びに満ちあふれていた。

2011年から行われていた県による夜間中学への事業支援が本年度で打ち切りとの報道もあるなか、
限られた取材時間では聞くことのできなかった多くの辛苦を想像しながら、ここに「EPSODE6 戦場から遠い場所」を公開する。

OKINAWA 2015





病気をするという不条理 
 
蟻塚亮二(精神科医師

2015年7月21日 1:06

 ◆生きる意味は必要か?  

誰も好きで病気をするわけではない。「医者の不養生だ」と言われればそれきりだが、病気をするということは、
原発事故で避難を転々とせざるを得なくなった人たちと同様に不条理な事態である。 

しかし病気になって直面しているこの不条理とは、実はこの世に生きるということの不条理と重なるのだと思うようになった。
私たちは、生まれたいと思って生まれたのではないのに、生きなければならない。
そして生きることとは必ずしも幸せを約束されているわけではない。むしろ生きることは難行苦行である。
生きるということは、そもそもつらいことかもしれない。そして人は、いつか、あるいは明日にでも突然に死ぬかもしれない。
生きるということはこんな風に不条理で摩訶不思議なことだ。 

しかし松山千春の「大空と大地の中で」という歌の中で、下記のようなフレーズがリピートされる。 

生きる事が つらいとか 

苦しいだとか いう前に 

野に育つ花ならば 力の限り生きてやれ  

けっきょく、生きる意味がどうのこうのというよりも、私たちは死ぬわけにいかないから生きるしかないのだと思う。
「なんのために生きるのか?」などと若いころは考えたが、そういう「何々のために生きる」というお膳立てなんぞを
求めるのが贅沢というもので、生きているだけで「たまにはいいこともある」から生きたほうがいいのだろうと考えるようになった。

 

むかし「週刊プレイボーイ」の自殺特集記事にコメントしたことがあった。その記事の中に自殺を試みた青年が過去を振り返ってこういった、
「ビルの屋上から飛び降り自殺を試みた。ところがジーパンの裾がビル屋上の端の鉄条網に引っかかって体が落ちず、生きてしまった。
それならと、死ねなかったから生きようと思った」と。死のうとして死ねなかったから生きる、それでいいのだと思う。
すでに生きていながら、「なんのために生きるのか?」と意味を考える必要はないのだと思う。こんな風に考えるようになったのは、病気をしてからである。 

フランクルと荘子と魯迅・・生きることの肯定 

アウシュビッツの絶滅収容所に閉じ込められて生き延びた精神科医・フランクルも、『それでも人生にイエスという』(春秋社)の中で同じことを言う。 

大略、「生きる上での喜びや幸せとは、生きた結果として湧くものだ。幸福とは人生の目標ではない。
そもそも結果として感じ取る幸福を生きる目標にすることはできないではないか?」と「生きる意味を思弁的に問い続けることの不毛」を語る。

 

中国の荘子は、大略、「世間的な価値に沿って生きる」ことを絶対的な価値ではなく、たまたまの、相対的な価値でしかないと説く。
荘子はフランクルのように、あるいは魯迅の「人は生きねばならない」のように生きることを積極的に賞賛するわけではないが、
世間で善だとか悪だとか不幸だとか幸福だとかいう価値観から自由な生き方をしろという。 

フランクルが拘泥するなという「生きる意味」を、「そんな世間的な価値」をと一蹴する荘子とフランクルとは相通じるものがある。 

中国の魯迅は、「人は生きねばならぬ」という。恐らく彼の思想の背景には進化論的な思想があるのでないかと想像するが、
魯迅も中国の国共合作以前の混沌の中にあって国民党軍から命を狙われ。枕元にピストルを置いて寝た人である。
「生きる意味とは何か」なぞという質問はぜいたくであったろう。 

代わりに魯迅は言う。「生きることには挫折や失敗がつきものだ。挫折や失敗は私たちが一生懸命生きていることの証明だ」と。
だからボロボロに傷ついても、なおも生きている私たちを肯定しようと魯迅は言う。 

私も福島の津波や原発事故で避難している方たちにいう、「こんなつらい思いをして生きて、そして私と語っているあなたがえらい。
こうして私とあなたが語っていてよかったじゃないか」と。つらい過去をもっている人たちが、つらい過去記憶を過去形にできるように、
「今を肯定しようよ」というメッセージを伝える。

 
死生観が変わった

 私は癌を3回もやり、肺癌の疑いが何度もかかり、それでも生きている。それでも、津波で目の前で肉親や知人を失ったという巨大な喪失感には愕然とする。 
津波で家を流されながら、職場の時要旨のパワハラに耐えながら働いている山下さんが語る。 

親しい人や家が流されるのを見るしかなくて 
水は止まってくれなくて 
あれほど虚しいものはなかった

自分の身を挺して止められるものなら止めたかった 
あの時の「どうしようにもならない感」と、 
その後の打ちのめされた虚脱・脱力感。 

今となっては見るもつらい瓦礫だが、 
あの瓦礫の中に私の希望も記憶もあった。
その喪失すらも、失ってしまった。 

制御できないものはあるのだ。 
努力・頑張りを強調する社会のウソ 

 まるで壁のような圧倒的なボリュームの水が押し寄せてきて、大好きだった肉親が津波に吸い込まれていくのを見る時の彼女の無力感は強烈だ。 

私は、毎日肉親の死と隣り合わせて生きてきた人たちと会っているうちにに、自分の死生観が変わった。
『千の風になって』の歌のように、「死んだっていつもそばにいてもいいさ」と思うようになり、患者さんにもそう伝えている。
死ぬことは怖いことではないんだ、死んだって僕らのそばにいつもいるんだもの。





午後は訪問活動(アウトリーチ)も
ご一緒しました
堀先生は地元の方ですので 仮設にも
もと患者さんや 知り合いの
ボランティアさんもおられました...
藤島自治会長からは 不調になっても
じみちに話しかけていくと だんだん
良くなってくるところもありますと 2015/7/19

 

 




談話室での悩み事相談
仮設住宅の方が部屋では
話にくいから とわざわざ出てこられ

相馬さん(臨床心理士)と...
堀先生(精神科医)と
山本(SW)とで 傾聴させて
いただきました

家族がばらばらにされて
喘息やアレルギーや不眠…
胸に溜め込んだ思いのたけを
話されておられました 2015/7/19

 









大鹿仮設住宅と 住民の方が
植えられたひまわり 2015/7/19






仮置き場現状
2ヶ月前に比べ フレコンバックは
さらに 高く積み重ねられ
仮置き場がどんどん広がり
仮仮置き場も増設されていました...

他県ナンバーの車が止まる
作業員宿舎もそばに建てられています
線量は高く モニタリングポストは
故障中のままから 測定停止中に

来年20km 圏内の小高区に帰るように
とのことですが その小高区には
新たなフレコンバック置き場が
もう同時進行で工事されていました
フレコンバックのそばに住むということは
高濃度放射能汚染物のそばで
被曝するということです 2015/7/18

 

  




今日から南相馬に伺います
臨床心理士の相馬勉さんと
精神科医の堀有伸先生と
ご一緒予定です
仮設住宅にお邪魔してきます7/18







手作りオルゴールにこめて
喜多方復興支援隊より届きました
タイムリーなニュースであり
原発事故被害の逆境や不条理に負けない
友情が込められた作品にも仕上がっていると思います...
関わらせていただき有難うございます
(帰省の際喜多方市役所ロビーに伺いますね)
良いことがありますように
平和
7/13

広島高校生からの贈り物 手作りオルゴール喜多方へ




喜多方復興支援隊より届きました 
有難うございます!7/7

2015/07/06 に公開
復興を願い、広島から被災地福島へ贈られた手作りオルゴール。...
喜多方市役所1F ロビーに展示されています。
広島の「高校生災害復興支援ボランティア派遣隊」さんから喜多方復興支援隊を通じて寄贈されました。
曲は喜多方出身のシンガーソングライター山本さとし作曲「ヒロシマの有る国で」。
毎年、広島の平和公園に贈られてくる平和を願う全国からの折り鶴の再生紙から作られています。
素敵な音色、お聴き下さい。


手作りオルゴール 「ヒロシマの有る国で」作詞・作曲 山本さとし




蟻塚亮二先生へ
拝読して 自分の中の浮遊している気持が
少し地に足着いたように思えました
有難うございました 7/7

ここに根を張れ、座りこめここへ。

2015年7月7日 1:10

原発事故で、子供を連れて無我夢中でこの土地にたどり着いて4年が過ぎた。

夫は仕事から離れられなくて避難しなかった。

そうして離婚して今は2人の息子との3人暮らし。

最近息子が発達障害と診断された、電話で別れた夫に告げたが答えは「ああ、そう」とだけ。そっけなかった。

先が見えない、心も存在もからっぽだ。夫の「ああ、そう」でとことん喪失感が続いている。

◆帰りたいけど帰れない。子供を守って行かないといけないし、

だけど、今の生活が幸せなのかどうかわからなくなった。

アルバイト先では今日も叱られた。

私の生活苦も、こんな心の空白感も誰も分かってくれない。

さいきん疲れてきた。

◆最近になって震災の映像を見て「初めて震災が怖い」と思った。

今までは無我夢中で走ってきた。怖いとも思う暇がなかった。

原発事故からの避難は恐怖に駆られて、だだだだ夢中だった。今初めて、事の経緯を理解できた。

10歳と5歳の子供たち、自分は母だから明るく振舞っているが、

夜には底知れぬ寂しさと絶望感と、自分の足場が亡くなっていくような恐怖感。

ずっとこうやって一人で頑張っていくのか。

毎夜毎夜、急激に襲ってくる孤独、無力。

子供と遊んでいる自分の心が何も楽しんでいない。

◆この子らにしてみれば、自分でない、もっと違うお母さんだったら、この子らは幸せかなあ?

自分には母親としての資格があるのか、考えるとつらい。

◆以上は原発事故で故郷を離れて避難しているお母さんの語りである。

原発事故は単なる震災ではない。50年から100年スパンで避難するという、日本人が経験したことのない難民状況だ。

喪失してわかる、地域と近隣と家族とのつながり。

・・・そういう「地域力」がいかに人の心の皮膜となって人の心を傷つきから守ってきたかと、今わかる。

避難先の今の土地で、『ずっとここにいるの?」と聞かれるのがつらいと。


◆私は彼女の話をずっと聞いてて感想を言った。

子供たちに、「私たちはここにずっといる」という確かさなメッセージと母の決意とを伝えること。それが子供の育ちや友達関係を作り出す。

「ダメ母」でもいい。母親の究極の役割とは、「いること」なのだ。あなたが子供たちと『いること」がだいじなのだ。

原発事故の罪深さ・・・・私たちは何の理由も咎も罪もなく、50年スパンまたはそれ以上の年月のかかる戦争のようなものに

巻き込まれてしまったのだ。だから覚悟しよう。理屈も減ったくれもない、生きるしかないんだ。

◆憎むべき戦争なんかで死んでたまるか。そして今いるこの土地に根を張れ、すわりこめ、ここへ。





渡辺一枝トークの会に
福島の声を聞こう!vol.15
ゲストスピーカーは藤島昌治さん
(南相馬市鹿島区寺内塚合第二自治会長)...

会の前後に藤島さんと
写真家菊池和子さんとご挨拶できました
南相馬の実状や新作の詩の朗読など…
神楽坂セッションハウスガーデンは満員でした 6/28




休憩で詩集は完売されました。二部は質問コーナーから開始され次々と続いています。


一枝さんからのお話で、ボランティアさんから何で現地の皆さんは原発反対の声をあげないのですか?と言われて
黙ってしまわれたそうです。生きて暮らすこと自体が抗議になっていると思うのです、と。頷きました。

脱原発では…! モデムハウスとしてのシェアハウス実現の為の署名を…! 現政権へNO!…とグローバルな視点から、
被災地への東電.国.東京人…の責任まで分かち合う時間でした。これからグレインの写真展にハシゴしてきます。
東京で福島のお話が聴けて良かったです。




ptsd もっと身近に
なりました 6/27

♤蟻塚先生コメント
沖縄協同病院で戦争PTSDを見つけて3年目に、
福島の友人たちが震災被災者の支援のために立ち上げたクリニックの所長が空席になるから
来てくれという。私は2013.4に相馬市に行った。そしたら2年後のPTSDを見つけた。



原発事故から2年半が過ぎた福島で頻発している
「遅発性PTSD(心的外傷後ストレス障害)」
/NHK・ハートネットTV



災地・福島の遅発性PTSD 蟻塚亮二医師


 20150625 ラベンダー




若い人たちに一言お詫びを申し上げたいと思います。
/小出裕章(こいでひろあき)氏 「未来を担う子どもたちへ」
http://www.at-douga.com/?p=12296

小出先生の講演会2015年度分

2014年3月に行われたヘレン・カルディコット財団主催の講演会で流された、
京都大学原子炉実験所 助教・小出裕章(こいでひろあき)氏によるビデオメッセージ
「未来を担う子どもたちへ」を紹介します。(所要時間:約12分)

福島第一原発は石棺で封じ込めるしかない
小出裕章・元京都大学原子炉実験助教が会見

https://www.youtube.com/watch?v=DrLFNQpsv_g





原発慰謝料「18年3月まで」 東電に要求、政府検討

 福島第一原発事故の避難者のうち、計5万5千人に東京電力が1人月10万円を支払っている慰謝料について、
政府・与党は、避難の期間を「事故から6年」と見なし、その1年後に支給を終えるよう、東電に求める検討に入った。
支払いは2018年3月分までとする考えで、経済産業省が近く東電側に伝える。

http://www.asahi.com/articles/DA3S11760916.html




実名で不特定に意見を
表明する勇気 教えられます 5/21


『地元の安積高校1年の仲野瑞保さんが「東電だけでなく原発に反対しなかった大人や無関心だった大人にも、責任はあると思う。
福島に原発はいりません」と、時折、言葉を詰まらせながら訴えました』
それにしてもローカル放送、何故全国ネットで流さない

原発のない福島を県民大集会
NHK NEWS WEB 03月08日 19時35分

...

東京電力福島第一原子力発電所の事故からまもなく3年となるのを前に原発に反対する大規模な集会が福島県郡山市で開かれ、
参加者たちは、国や東京電力に、福島第二原発を廃炉にすることなどを求める『集会宣言』を採択しました。
この集会は、福島県の自治労や生協などでつくる市民グループが、開いたものでおよそ3000人が参加しました。

このなかで講演を行った作家の大江健三郎さんは、「政府内には、原発なくして日本の繁栄はないなどとして、再稼働の動きがある。
戦争の時、国民の多くが少しおかしいと感じながら、当時の政府を信じようとしたように、再び、私たちがそんな話を信じようとすれば、
日本の次の世代に未来はない」などと述べ、福島から原発の廃絶を世界に発信していこうと呼びかけました。
また、地元の安積高校1年の仲野瑞保さんが「東電だけでなく原発に反対しなかった大人や無関心だった大人にも、責任はあると思う。
福島に原発はいりません」と、時折、言葉を詰まらせながら訴えました。
このあと、参加者たちは、▽福島第二原発を廃炉にすることや、▽すべての被災者が生活を再建できるまで等しく支援することなどを、
国や東電に求める『集会宣言』を採択しました。市民グループは
この宣言を近く、政府に『要請書』として提出する方針です。


参照動画 https://www.facebook.com/tanpoposya.nonukesplaza/videos/939247266093719/?pnref=story






いわきの海岸線沿いを北から南下
日曜だからでしょうか 
ずっと続く立入禁止の柵内の重機は止まり
フレコンバックが住宅道路そばに 並べてありました
…線量計機忘れてきました(^_^;)

...

津波の爪痕はいまだ痛々しく残る一方
南に行くにしたがって
新築の集合住宅や その建設途中が
いくつも目につきました 町中は
日曜のマイカーで人が多かったのです

海岸そばの宿 (海抜0m!) もひっそりしていました
一階は津波で全部やられ 
とっさの判断で逃げて命拾いしたとのこと
平日は工事の人達が泊まるも 土日帰るので 
観光のお客さんは めっきり減りました 
と寂しそうでした 5/17






汚染水漏れの裏側で 現役作業員が語る内情 トラブルが相次ぐ理由
https://www.youtube.com/watch?v=l3ewl-4JeVo



原発沖 1.5kmで独自調査 汚染水の影響 どこまで海に
https://www.youtube.com/watch?v=1dRdnCukc7o



台湾が日本産食品の輸入規制を強化、日本政府は「反発」
https://www.youtube.com/watch?v=3UPWbBVxxNY


5/18東京電力は5月15日に福島第一原発2号機の放水路上流で13日に採取した水から、
非常に高い濃度の放射性物質を検出したと発表しました。
東京電力によると、検出されたのはストロンチウム90などを含むベータ線で、
一リットルあたり73000ベクレルの高濃度が検出されたとのことです。
これは基準の2400倍に匹敵する超高線量で、4月6日に検出された1100ベクレルの約70倍となります。

http://saigaijyouhou.com/blog-entry-6510.html


2015/5/18 いわき市勿来海岸




親子が少しでも
気持ち寄せあいわかりあえるなら
せめてだれかがそばに 5/14

『ずっと言えなかった 福島 親子の手紙』
福島県南相馬市の小学校の先生と生徒と親の物語。
http://lavitaebella.phpapps.jp/archives/1326


地方発ドキュメンタリー 南相馬  「ずっと言えなかった~福島 親子の手紙~」
https://www.youtube.com/watch?v=aZNer6dhZfI


歌もそばにいて 

Sham-A-Ling-Dong-Ding - Jesse Winchester on Elvis Costello's "Spectacle"
https://www.youtube.com/watch?v=5uKGWpqnS8E






Fukushima Catastrophe Planétaire Fevrier 2014
https://www.youtube.com/watch?v=DhIUqcJ8nL4



Fukushima 3 ans après, rétrospective.
https://www.youtube.com/watch?v=OMjDs9AawiM







Women of Fukushima - English subs
https://www.youtube.com/watch?v=oIOPGlX-JEs&app=desktop





2013/10/3 小出裕章インタビュー/岩上安身 1of3
https://www.youtube.com/watch?v=HThI2Bxi3C4

2013/10/3 小出裕章インタビュー/岩上安身 2of3
https://www.youtube.com/watch?v=WzDuMcQBXtA

2013/10/3 小出裕章インタビュー/岩上安身 3of3
https://www.youtube.com/watch?v=h6PykrOrcJA





2015/5/18 いわき市勿来海岸